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タイム・マシン 80万年後の世界へ

監督 ジョージ・パル  公開・1960 

面白かったです。冒頭から時計の針の音と、時計を何度も見せてくる映像で物語に惹きこまれました。主人公ジョージが傷だらけのボロボロの姿で現れたときは一体何が起こったんだ?とだいぶ (゚д゚)ポカーン な気分になりますが、そこから何が起きたのか…というので話は進んでいきます。ジョージは発明家で、タイムマシンを作ってしまうほど優秀なのですが、本当にどうやって作ったのか謎。そんな細かいこと気にしちゃ駄目。タイムマシンが馬車のようで、おしゃれなデザインになっています。過去と未来へ行くためのレバーも水晶のような物がついていて、全体的に煌びやか。映像もとても綺麗で。色がはっきりしていて、絵画を見ているような気分になりました。未来の世界で核戦争が起き、町が破壊されるシーンは特撮という感じで、車も玩具だし町も作り物な感じが半端ないのですが…それを圧倒する破壊力で…火山も爆発するし、溶岩も町に流れちゃうし…画面が真っ赤で…そんな細かい事を気にする間もないほど物語の展開がテンポよくて最終的にどうでもよくなります。未来の世界に希望をもっていたら、そんなことなかったというのがオチで。未来の世界の現実感のなさ…。現代は1899年で、1940年までは現実的に起きそうな出来事で固められているので、感情をこめてみることができます。しかしいきなり802701年…いきなりユートピア!?この場面の変わり様に、これから起こる事に期待せざるおえない。人類が核戦争後、地下(モーロック)と地上(イーロイ)に分かれているとか。モーロックがイーロイを家畜にして食ってるとか衝撃的な様子が明かされていくのですが…。モーロック、どんだけ最強の地底人かと期待したら、案外、弱い モーロックの姿は一言で言えば「妖怪」ああいう雪男いそうだよね(笑)みたいな…。全身水色なのが気色悪くて、火が苦手って…お前元は人間だったのにそこまで退化したのかみたいな。頭から肩にかけて何故か白髪で覆われているのも笑えた…。体型もぽっちゃりしているし、私は一瞬、高木ブーに見えました。ひょうきん族とかお前レギュラーだっただろ(笑)みたいな…。モーロックも笑えますが、ジョージも逆に強すぎて笑いました。というか、イーロイが全員束になってかかればモーロック壊滅できます。後ろから頭どついただけで吐血。あっさり死亡。一番笑いました…。どんなに怖い奴かと思ったら…ただのひょうきん族だったなんて。結局、現代に戻りますが、ジョージは未来人ウィーナと恋しちゃったので、802701年に旅立って終了です。映像もめまぐるしく変わって飽きない面白さ。未来って本当にどうなっているんだろう?見た人がそれぞれの未来を想像するのも楽しいですね。以下、気になった場面と好きなシーン↓

●四次元は視覚や感覚を超えている。「例えば わしが こうして前後に歩けば1次元 左右の動きを加えれば2次元 上下を加えれば3次元」お友達の説明有難う。私もよく分かってなかった●四次元とは?「単なる理論に過ぎんよ 誰一人実態も存在も知らん」「他の次元同様に確かな存在だ」●「時間の旅はできるのか」「人が未来へ踏み込んだら混乱を起こすのでは?」「未来は変えることができない」「はたしてそうか?」「人は運命を制御できるか 未来を変更できるか」●葉巻での実験。タイム・マシンの模型は消え、未来へ行った。そのものは消えただけでそこにある。「我々は1899年にいるがモデルは100年も未来にいるからだ」「現在の空間だからモデルに触ることはできない」「時間は空間も変化させる」●ジョージ「自分の生まれた時代が私は好きではない」「人が簡単に死にすぎる。科学に要求されるのは より能率的な殺人兵器の発明だ」戦争はなくならない。科学者は殺人兵器を進んでつくる発言。後に核兵器となるわけですか…。●時間の流れが、向かいの店のショーウィンドーに飾られているマネキンに焦点を当てているのがオシャレ。時の流れとともにマネキンの着ているドレスは変化していく。流行の変化が時間の変化と重なっていて、面白い。●時が経っても変わらないデビッドのジョージに対する友情。未来ではジョージは行方不明。しかし、絶対帰ってくるから…と、デビッドがジョージの家の権利を買い、守っている事実。けどデビッドは戦死…それを聞いたジョージもショックで唖然…。また更に未来へ行く姿が切なくて●もとの1900年1月5日。友人との約束のパーティの日に戻る。タイムマシンで未来に行った話を友人らは信じてくれない。ウィーナにもらった花が未来へ行った証明だと、花に詳しいデビッドに渡す。現在には無い花で、友人のデビッド驚く。●「永遠に変わらぬ友情をありがとう」デビッドに言うジョージ。永遠の別れを友人に告げるシーン。デビッドの表情の変化が細かくて…え?何故?から、確信へ。そしてジョージが去った後、嘆くでもなく、彼の行く末を楽しそうに思い描くかのような素振り。本当は寂しいのでしょう。デビッドだけがジョージの話を信じることができる。最後、家政婦さんのデビッドを見送る表情…悲しそうな、何とも言えない顔がまた涙。しかし悲劇的な終わりではない。きっとこれからジョージは現代で行方不明となり、デビッドはずっとあいつは帰ってくると言うのだろうなぁ。何かあったときのため…また、ジョージを忘れないために。ジョージの家をずっと生きている限りは守っていくのだろうなぁ。泣ける…。ジョージとデビッドの、この関係が時を超えても変わらないものだったなんて…。良い話です。時代は変わるけど思いは変わらないという…まさかの友情ものだった…。


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キクとイサム

監督 今井正  公開・1959 

人の肌の色でその人の人格が分かるなんていうことはない。主人公のキクとイサムの父はアメリカ兵。母は日本人だが、病気で亡くなり、年老いた祖母と三人で暮らしていた。母が亡くなってしまった今、父が誰なのかもわからない。肌の色は成長するにつれて黒くなり、日本で生まれ育っているのに、周りから見れば外国人。学校では「くろんぼ!」とからかわれるイサム。しかし、まだ幼い二人は何故周りがそんな事を言うのかもわからない。将来を案じる祖母と孫であるキクとイサム。血のつながりの大切さ。どんなことがあっても孫を守る祖母。家族愛が溢れているだけに、外部からの好奇な目が痛い。同じ人であるのに、日本人だから良い。混血児は駄目。というようなあからさまな差別が沢山散りばめられている。しかしこんなひどい事が起きているのに、見ている側がずしんと暗くならないのは、キクとイサムの明るさだろう。彼らは同級生のいじめにも全力で立ち向かい、逆に負かしてしまうほどのわんぱくさ。唯一の家族である祖母は、何が起きてもずっと二人の見方。しかし、あと二、三年もすれば自分は死に、残された孫はどうなるのか…。二人の将来を考えれば、父の故郷であるアメリカへ養子として貰われたほうが幸せなのではないのか。今の暮らしは貧乏で、大学だって行かせてあげられない。ならば裕福な家庭で育つほうがいい。アメリカで自由に暮らしたほうがいい…と。しかし、アメリカにも黒人差別はあり、そこで暮らしたとしても、差別から抜け出すことはできないのではないのか…。答えはないのか。何が幸せなのか。それはやはり、愛情。暮らしが豊かになるのと、愛情は別。イサムはアメリカへ旅立ちますが、電車のなかで、行きたくない!と最後の最後で反発。見送る祖母は「嫌になったらいつでも帰ってきておいで」と泣きながら言う。何故一緒に暮らせないのか。世の中の理不尽さに思わず、何故?と何回も問いただしてしまう場面がいくつか。残されたキクには相変わらず同級生のからかいが付きまとい、何か問題を起こしてしまうと、混血だから…と全て決めつけられる。ちょっとした不始末が肌の色だけで大問題だと騒がれる。あまりの理不尽さに怒りを隠さず感情をぶちまけるキク。普通の女の子なのに…将来なりたいものは、「おかあさん」という純粋な子供なのに、混血に結婚は無理。尼になるしかないと決めつけられ…。最後、キクが自殺未遂をおこしたシーン、祖母との会話で涙がでました。「ずっとばあちゃんの傍におれ…」そのときキクに初潮が。赤飯を食べて、祖母の畑を一生かけて耕すことを将来の目的にして物語は終わります。立派なお母さんになれる暗示なのではないでしょうか。決して暗い最後ではありません。色んな人の立場からキクやイサムに対しての心情が伝わってきます。終始一貫して祖母の態度は変わらず、愛情が注がれていました。気になるのはイサムで、引き取られたその後が全く本編にないということ。二人の姉弟は今後再会することはあるのだろうか…。人種差別が日常生活にあるとこんなに愚かなのかと思わせます。人種だけに言えることではない気もしますが。時代が戦後まもないから余計に風当たりが強かったのでしょうか。全く悪い事をしていない無知な子供にとる態度なのかと。今現在はだいぶ緩和してきたと思うのですが、完全に差別が無くなることはないのかもしれません…。確かに、古びた日本家屋に黒人は似合わない。違うというのは明らか。けどそれは全く悪くない。純粋に日本で優しいお婆ちゃんに育てられてるんだからもう文化圏は日本だろ…と言いたくなります。日本語もあんなにぺらぺらで…ちょっと方言が強すぎて何を言っているのか分からなかったけど(字幕をつけてほしい。特にお婆ちゃんは何を言っているのか分からない箇所がちらほら)完全にただの元気な子供なので…。がんばるしかないのか。物珍しい好奇な目って数が増えるほど残酷です。考えさせられる作品でした。

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河 THE RIVER

監督 ペア・ロレンツ  製作・1937 製作国・アメリカ

農業保障協会、労働協会、テネシー峡谷理事会、市民組合、陸軍協力によるドキュメンタリー映画。32分のモノクロです。「河についての物語。ミシシッピの記録。水源地から河口まで…人々の恩恵、そして試練。」ドキュメンタリーなのですが、短編映画のように、すっきりさっぱり気持ちよく見れました。語りが独特で、アメリカの地名を繰り返したり、年数を繰り返したり、重要な台詞は強調されていて見る人が問題を意識するような工夫がしてあるように思えました。河の流れる様子が印象的で、河の色んな表情がさまざまな角度から見れます。自然って壮大だなぁ。そこに人間の手が加わって、どんどん悲惨になる河が一番の見どころです…。以下、あらすじと語りの抜粋。

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大陸三分の二の水を運ぶミシシッピ川。河周辺の人々の生活の様子。綿花の栽培が盛んで、採れた綿は船に乗せられ河を渡り他の国々へ…。しかし豊かな農作物も戦争によって焼失し、綿花は育たなく、貧しさに輪をかけ、人々は西へと流れる。西に広がる鉄道のために北部の森林は伐採され、木は西へと流れて行く。技術は進化し、機械も発達。一気に都市化が進む。が、数えきれぬ都市を築いた その結果…切りつくした山は禿山となり、雨の水を吸収することなく一滴残らず河へと流れ込む…かつての穏やかな河はなく、流れの早い濁流、映像が白黒なのでわからないが、見るからに茶色の汚い河に変貌。その結果、街は大洪水、増水の被害に遭う。警備員総動員で、夜な夜な工事が行われる。陸軍海軍警備員…CCC WPA 赤十字までもが河川の工事などに駆り出される。沢山の人々が死に、食料も不足。何千人も避難する事態に。75万人の被害がでた。ミシシッピは溢れ、農地も台無しに。数えきれぬ都市を築いた その結果…広がるのは恐ろしく変貌したミシシッピ川である。1937年、河の救済が始まった。議会も巨額を投入。被害者の救済のために。
 
春や秋に水は流れる 年月をかけ洪水の規模を大きくしていった そして毎年大水は来る あらゆる山々の土を洗い流し 50年で綿花も育たなくなった 50年でコーンも育たなくなり 何を植えても望みがない 

4億トンの土だけがメキシコ湾へ排出される。河川に残ったのは貧しい農民であり、四半世紀かけて増えていった。河沿いの4割は小作農。1割は小作人。湖畔の労働力となった。しかし…

得るのは低賃金のみ 土地も家もない 権力もなく 貧しいだけの人々 作物は自分の口に入らず わずかな賃金のみ 借金だけが増えていく 人々はそこでも育っていく 新天地はなくても 頂上の人間も底辺の人間も自由を勝ち取った人々も 病に苦しみ 泥を舐める人々も 食も医療も教育もなく 不衛生な環境は続く 大河のほとりで

1933年からテネシー川工事を始める。水量を調節できるダムを建設した。水流の調節は1000キロにも及ぶ。農業団体もつくられ、植林し、マツやカシを斜面に植えた。やせた土地に木が生え、水は蓄えられる。森は人によって再生された。農業用地も整備され、良質な土壌を作っていった。テネシーの大地は人工的に蘇り、農民のために農地保障を支出。農民は安心して暮らしてゆけるようになった。

そして水は力に 蓄えられた水は電力に変えられる 河沿いの町にも都会的な生活が 電気は村や町 工場などへ 
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ハッピーエンドで終了。何故だか私には人間賛歌というか、結局人間はすごいんだぞ!というような、驕りというか、そんな気持ちになりました。壊された自然は戻ってこない。壊された自然が人間に刃を向けた結果、人間は自然の大切さに気づき、再生をする。再生をするが、人間にとって都合のよい道具として活用する。頭で考え、発展させることが出来る人間は凄い。人間は自然も操ることが出来る!最強!アメリカ最強!……というようなお話に思えました。しかし、日本はこれに見習うことが多いように感じられ、特に農業…とにかく、荒れた土地というのは地方のいたる場所に置き去りにされているわけで、どうにかしてくれないと人はどんどん減って…いくわけです。無人の大きな家が沢山ありますよ地方は。いつか誰も住まなくなるんじゃないかなーと、寂しく思えてくるときがあります。このドキュメンタリーが作られたのが今(2012)から75年前。人間は変わらない生き物だなぁと感じさせました。

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銀河鉄道の夜

監督 杉井ギザブロー  公開・1985

宮沢賢治の未完作品だそうで…。原本は未読なので、人が猫になっているとか細かいところは全然気になりませんでした。原案がますむらひろしなので、猫であって当然というか。独特な物語の世界と可愛らしい猫が違和感なく合っていて、私は好きです。こういう不思議で幻想的な、よくわからない不気味な感じの世界には動物が二足歩行でしゃっべてるほうが落ちつきます。話の構成が一段落ごとに区切られて進んでいく感じです。またそれが淡々と静かに流れて、後にいくにつれて妙なドキドキ感が募ります。遠くにあった足音がどんどん近付いてくる感じでしょうか。とにかくこの世界は沈黙が多いです。しかし音がよく聞こえます。生活音です。汽車の音とかドア開ける音とか、ちょっとした事なんだけれども、普段意識してないような音が気になってしまうような…。第六感を働かせて見るみたいなところがあります。基本、精神世界なので意味がわからないのは当たり前で、感性の問題。意味がわからないものはかなり奥が深いです。そこでなにがメッセージなのかな…ここのあの表現って…と、考えることが大切なのだと思いますが、これは難しい。爆発しそうなので単純に色が綺麗だとかそういう見方をしました…。背景、小物が絵本のようで可愛く色もやさしくてあたたかでした。俯瞰でみる赤い屋根の景色も手書スケッチみたいで。切り取りたい風景がいくつかありました。星祭りの夜、黒い木立と薄ら明るい道。光のコントラストが本当に綺麗で…幻想的。十字の広場で踊る猫達。石畳の星柄が光ってて吸い込まれそうでした。不思議な木も沢山でてきて、凝視してしまいます。ジョバンニが夜の丘を駆けていくシーン、丘の上の夜空が満天の星で…ここが一番の見せ場だと思うのですがバックに流れる音楽も壮大で…。本物の星みたいです…。プラネタリウム行かなくてもこれをみれば大丈夫みたいなところあります。列車から見る景色も暗いんだけどそこに咲く白い花達が映えてて綺麗で…。こんな鉄道あったら一度は乗ってみたいと思いますが、行きつく先が怖くて、またそれも賢治ワールド。以下気になった場面↓

●「活版所」が個人的に一番好きなシーン。何ともいえない重い空気。鉄と紙と木と色んな匂いがたちこめていそう。淡々と文字を拾うジョバンニが地味。なんとも地味なアルバイト…何だかお通夜みたいな雰囲気。壁一面に並んでいる文字が圧巻。全体的に地味だがそこが良い。●ザネリ達のからかいにも心を閉ざしたジョバンニは反抗もせず、全くの無表情。感情がないので、人でなく「猫」を使ったのはある意味正解だと思った。だけどカムパネルラと一緒にいるジョバンニは明るく、よく喋るし、本当に好きなのが伝わってくるので可愛いなぁと思いました。●いきなり星空から列車がやってきて乗ってしまうあたり、夢オチ感はんぱない。そこにカムパネルラがいるのも夢っぽいがこれは現実だった。これが本当の霊体験。●停車駅の待合室、荷物があるのに人が一人もいないという不気味さ。小さな扉を開けると白く長い階段…上がったり下りたり、見覚えのある広場に着いたり…潜在意識の世界は果てしない。夢の世界は不思議。水晶の砂綺麗だった。120万年前のクルミが石になって砂になって消えたのが何だか切ない。●鳥狩りのおじさん、サギが袋に入ってるというが、どうみてもサギの形をしたクッキーに見える。もらったものをちゃんと食べるジョバンニは偉い。本当にお菓子だった。駅を降りて飛んでくるサギを袋に詰めるおじさんが狂気。何故鳥狩りなのか、何か意味があるんだろうが、わからない。雰囲気でよしとしよう。●切符拝見のシーン。ジョバンニが持っていた切符は三次元世界のもので、何だか貴重な凄いものだったらしいのだが、あの紙には何が書いてあったのかわからない…とても気になる。他の客は「幻想第四次元」のちゃんとした切符を持っているので、ここでジョバンニ以外は皆現世の人ではないことがわかる。●急に人が消えていく。ふっと消えるので怖いというより自然すぎて空気みたい。鳥狩りのおじさんが消えたときに言ったジョバンニの台詞「僕、もう少しあの人と話をしておけばよかった。僕はあの人が邪魔のような気がしたんだ。だから辛い。」が、もう会えなくなってしまった人を思う後悔の念が伝わってきた。●初めて猫でなく、人が汽車に乗ってくる。人間にリンゴをもらうジョバンニら。リンゴが増えるのは何故なのだろう。四次元空間のできる業…って思うしかないのかな。●終着駅が近づくにつれて人がいなくなり、最後に残ったジョバンニとカムパネルラ。確実に死者が行くところなのだが、ジョバンニは気付かず、ずっとカムパネルラの傍にいると宣言するのが切ない。カムパネルラは目に涙を。天上にさしかかると「お母さんだ…」とカムパネルラ消える。ジョバンニを置いて。「カムパネルラ!」ちょっと本当に泣けてきた。●目を覚ましたジョバンニ。そうだお母さんが待っている…と、牛乳をもらって家へと急ぐ。するとクラスメイトが慌てた姿でジョバンニの前に…川でカムパネルラが溺れた…探しているが見つからない…。鉄道は夢だったけど夢じゃなかった。本当のことがわかるとこんなにあっけなくて悲しい。●親友が死んだことを知り、しかもそれがザネリを助けての死だったことを知り、ジョバンニはこの命を捧げてもいいから皆の光になると誓う。汽車のなかでサソリの話をしていたが、ここでサソリがジョバンニの今後の生き方を示すものだったみたい。カムパネルラの死を知ると同時に父親が帰ってくる知らせをうける。一人の親友の死がジョバンニを変える。カムパネルラが教えてくれたみたな…。

父親が帰ってこない寂しい生活やそれを嘲笑うクラスメイトらに日々、心が病んで、しかもお母さんも病弱で自分が働かないといけない。他のクラスメイトが楽しんでいるときに活版所。きっと自分も死んでしまいたいなどと思ったから、あの銀河鉄道が現れたのかもしれない…。あんなに孤独な青年の唯一の親友と呼べる人を亡くしてしまうなんて、これって本当に悲しいけれど彼にとって人生の転機で、これからが本当に生きるということなんだと思うと、ジョバンニはもう、カムパネルラとずっと一緒にいるなんて言えないし、カムパネルラがむしろ自分を生かすためにこの命を捧げてくれたんだと思って生きなければならないんだと思う。この清らかすぎる友情はなんなの(涙)こんな壮大な心象スケッチをありがとう。宮沢賢治は偉大です。生と死は永遠のテーマです。

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ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還

監督 ピーター・ジャクソン  公開・2004

最終章…長かったけど、見てよかった…。もう続きがないのが寂しいぐらいである。今回、冒頭からスメアゴル(ゴラム)の過去から始まる。彼も元は普通の素朴な青年だったのだなと考えると胸が痛い。指輪と出会ってしまったがために、その魅力に心奪われ、友人を殺してしまい、一人ぼっちに。心の弱さ…それを責めることはできない。悪の因子は心の弱さであると。誰しもが強い心をもっているわけではないから。指輪の力でゴラムの命は長らえ、指輪の魔力で身体と心は蝕まれ、人間とはかけ離れた醜い姿に。一人の人生が分かると、例え憎い奴でも情けをかけてしまいたくなります。フロドの考えは正解だったと思います。もしもあの時、サムが言うようにゴラムを殺していたら、きっと指輪は葬れなかっただろうと。指輪を火口に持っていき、あとは手を離すだけで苦しみから解放されるのに、長く指輪を所持していたフロド。やはり指輪の力を甘く見てはいけなかった…、指輪は僕の物だと。指輪をはめてしまうのですが、そこで彼を尾行していたゴラムが指輪を奪い返そうとフロドに飛びかかり…。あの妨害がなかったらきっと指輪はまだ現世にありました。フロドの情けが、指輪を葬る結果をつくったのだと思います。本当に良かった。そして、長い間彼に使えたサム。フロドがサムを勇者だと言っていましたが、本当にその通りです。ゴラムの悪のささやきに惑わされ、一度はサムを裏切り置いていったフロド…。後でサムが正しかったと、サムの存在がどれほど大きかったかを知る。サムはゴラムに陥れられ、フロドの信頼を失い、失意で涙いっぱい…元来た道を帰ろうとするのですが、やはり主人のもとへ。最後まで忠誠を誓うことに変わりなくフロドのピンチを救う。「指輪の重荷は負えなくても、あなたは背負えます」と…力なく横たわるフロドを背負っていく姿は、やばいほど男前。号泣…。ラスト、世界に平和が戻ってホビット庄に帰り、かねてから好きだった人と結婚し家庭をつくったサム。フロドは役割を終え、もうこの世界に戻ることはできないと…ガンダルフや、エルフ達が旅立つ永遠の国、不死の国へ一緒に行ってしまう。「指輪物語を書き上げるのはお前だ」とサムに本を手渡して。サムは新しい世界に生きる。最後の「戻ったよ」が平和の訪れで、いつもの愛すべき生活の始まり。自分の役目、使命が果たされると現世ではなく別の世界へ旅立つという、それは「死」ではなく「旅」というのが良い。終わりではないという、未来が輝いているようで…。長い旅でしたが、見ている私も物語の一部になったみたいな錯覚があり、皆と旅をしてきたような一体感があった。終わると力が抜けてしまう。この映画見て良かったなと思いました。正直でまっすぐな物語。監督さんがこの話のテーマは 友情、勇気、忠誠、愛 だとおっしゃっていましたが、本当に生きていくのに必要な力の元が全て詰まっています。種族の違うもの達が力をあわせて戦うとか、世界平和とか、今の世界にだって必要なことが沢山でした。本当にありがとうございましたと言いたいです。以下気になったシーン箇条書き

●ピピン、メリー、ガンダルフらと再会のシーン。パイプ吸いすぎだし、なんか食いすぎだし、のんきすぎる。久々の癒し…そんな姿にガンダルフ呆れ顔で一言「ホビットめ…」●ガンダルフ、目を開けて寝る。とても怖い。正直、サウロンより怖い●ゴンドールの城(定かではなし)が真っ白すぎて綺麗すぎ。●ガンダルフのピピンの扱いがひどい「つまりお前は何もしゃべるな」●ローハン国やさまざまな国が援軍など助け合おうとするシーン。のろしが山の上から次々上がっていくところは雄大な自然につつまれかなり壮大。規模のでかさが半端ない●二部でボロミアの兄だと思っていた人はボロミアの弟でした。ちゃんと見ろ…●ピピン、ゴンドールの執政に忠誠を誓う。執政に歌を歌えって言われて歌ったピピンの声が美声すぎて鳥肌●メリーもローハン兵に。小さすぎて可愛すぎる兵隊。●エオウィン姫、アラゴルンに振られるも強い女。男装してローハン兵に紛れる。メリーも一緒に馬に乗る。この二人の組み合わせ可愛い。そしてエオウィン強すぎ。「私は女だ!」がカッコよすぎ…女キャラではエオウィンが一番好きです…●ガンダルフじいさん、狂い始めたゴンドールの執政に容赦なさすぎ。執政の言動全て無視なのが逆に爽快すぎて笑えた…●ゴラムが案内したトンネルが気持ち悪すぎ。クモの糸とクモと…リアルなネバネバが嫌だった●戦闘シーンは全て。騎馬兵がずらっと並ぶと爽快だし、圧巻…。オークの兵の多さが尋常じゃないのでまぢゴキブリみたいだった●いきなり現れたゾウのような動物に乗って戦う部族…モンハンみたい●レゴラスが強すぎる。火の打ちどころのないイケメンすぎて、たまに言うギムリの皮肉に全て同意●黒門の前でレゴラスとギムリのやりとり。ギルム「エルフの隣で討ち死にするとは」レゴラス「友達の隣でなら?」ギルム「いいね…それならいい」結局は仲良し●オーク兵VSアラゴルン率いる西の民「フロドのために!」負けると知っていながらの戦い。一斉に敵に向かっていく姿が鳥肌●フロドとサムの関係「お前と一緒で嬉しいよ」●鷹に乗ったガンダルフ。フロドらを溶岩の中から救出…どこまでもガンダルフじいさん頼りなる人●フロド、ガンダルフとの再会。ようやく彼の笑顔が…仲間と続々再会。皆無事に生還できて良かった…●アラゴルンがカッコよすぎ。新時代の王に…ホビットの4人は友達だ…と頭を下げることをやめてくれと。どこまでも友情半端ない●最後、エルフとガンダルフ、ビルボとフロドの旅立ち。旅立ちの舟が綺麗すぎ。輝きが半端ない●主人公のフロドは他のキャラと比べると台詞も少ないしアクションが少ないけど、彼の苦悩の表情というか、全て台詞で感情を表現していなくて、存在感があって、若いのに良い役者さんだなぁイライジャ・ウッド…

良いお話でした…三部作で良かった…。



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